風の時編集部 【仙台の原風景を観る、知る。】

“仙台の原風景を観る知る”をテーマに、2005年「風の時編集部」を設立。100年前の古地図『仙台地図さんぽ』や仙台城下絵図『仙台まち歩きシリーズ』、昭和時代の写真集『仙台クロニクル』等を企画。2023年現在42作を発行 ●風の時編集部 代表 佐藤正実 ●Eメール:info@sendai-city.net ●TEL:022-295-9568 ●〒983-0852 仙台市宮城野区榴岡3-11-5 A610 ●楽天市場ショップ→http://rakuten.co.jp/kazenotoki/

「みやぎの・アーカイ部」のイベント『ってなに?』無事終了。

宮城野区の地元学を学び直すプロジェクト「みやぎの・アーカイ部」が、この2年間リサーチしたのが仙台駅東エリア。
20~30年前に“駅裏”と呼ばれた時代と、住みやすいまちと言われる現在の“駅東口”。この古くて新しいこの駅東エリアを、アーカイブ資料を見て懐かしむだけではなく、かつてのまちの営みや文化を若い家族に分かりやすく伝えるためには、何をどう表現すれば分かりやすいのか?が「みやぎの・アーカイ部」のテーマでした。
地元の人たちが普通に使っている言葉だけど、新たに住み始めた若い家族にはどういう意味なのか疑問に思っているのではないか?例えば、今は見ることができない「X橋」は、何がXなのか?とか。もしかしたら、その疑問に応えることで新たな交流が生まれるかも。それを展示の柱にしてみよう!ということで、『ってなに?』という問いをそのままタイトルにしたのが今回のイベント。

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アーカイ部部員さんが撮影した定点写真を展示することで、現在の場所と昭和時代の姿をリンクさせて見ることができたり(最近の写真から過去の姿を確認したり)、それらを地図とセットで見ることでお店の位置が分かったり。
また、20年前に榴岡小学校で取り組んだ、地元のお店に弟子入りするという「ゆうゆう弟子入り留学」の資料(映像・写真・手書きまとめ)をそっくりお借りすることができたことで、まちと人という地域の宝物に子どもならではの視点や気付きが加わり、イベント全体に“時間の変化”と“世代による視点”という厚みを持つことができたことも、大きな特徴のひとつ。

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この「ゆうゆう弟子入り留学」は、今やっている職場体験・商業体験とは異なり、地域で生活を営み、暮らしている人と関わることで、“生き方を学ぶ”というもの。
当時、榴岡小で「ゆうゆう弟子入り留学」を進めた白井浩先生は、町内会や学校の活動に熱心だった小西糸店さんの小西芳雄さんとの出会いが、それを実現させたと回想しています。そして、その小西さんは、「まちは時代により変化もするし老化もする。だから、これからのまちを未来ある子どもたちに託し“まちの若返り”を期待する」と子どもたちに伝える、まちを愛した方。
当時の子どもたちも、今や子育て世代となり、20年後の未来の場に立ってこのまちをどう見てるのだろう、白井先生の当時の想いも直接聴いてみたい、という部員の関心からこの度オンライン配信が実現しました。打合なしぶっつけ本番の1時間の収録!!とても楽しい時間でした、部員さんたちのリクエストに快く応えてくださった白井先生、ありがとうございました<(_ _)>

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約30年前、民俗研究家の結城登美雄さんが提唱した地元学。その中で「地元学とは、自分が暮らすまちの物語を探すこと、そしてまちの新しい物語をみんなで作りあげること」と記しています。
「みやぎの・アーカイ部」も、その教えに学び、みんなで新しい物語を今後も作りあげていこうと思っています。
次年度は「駅東エリア」と「原町」の二本立てで取組む予定です。
お忙しい中『ってなに?』にご来場いただいた皆様、ありがとうございました。手作り感たっぷりの展示品&サンドイッチマン看板等、スタッフ専用の特製黄色マスク、なかなか良かったでしょ?

仙台クロニクル「仙台駅」⑤ 仙石線の仙台駅

宮城電気鉄道(現JR仙石線)は、仙台駅前に乗り場があり、地下に降りて乗車した。この写真は、地下にあった時の仙台駅の写真。次の東七番丁駅は地上にあり、その間は地下区間だった。あまり知られていないが、仙石線は日本初の地下鉄でもある。

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河北新報夕刊「仙臺クロニクル 古地図と古写真で観る、原風景。」2021年2月16日掲載)

仙台クロニクル「仙台駅」④ 仙石線

私鉄の宮城電気鉄道は、1925(大正14)年に仙台~塩竈間が開通。その後、東進して松島観光や野蒜海水浴場の乗客などを乗せ、昭和3年には石巻まで全線が開通した。昭和19年、戦時買収により国鉄仙石線になり、現在はJR東日本の路線となる。

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河北新報夕刊「仙臺クロニクル 古地図と古写真で観る、原風景。」2021年2月9日掲載)

仙台クロニクル掲載写真【ネオン瞬く仙台駅前 (昭和30年代はじめ頃)】

雨に濡れる中に夜のネオンがくっきりと浮かび上がる。ひときわ高い「まるみつ」のネオンは、1953(昭和28)に4階建てとなった丸光デパート。その右は、かりんとうで有名だった菓子問屋丹六。きらめく夜景に、市民は伸びゆく都市を感じたことだろう。丸光はこの増改築を機に、「荒城の月」のミュージックサイレンを開始した。

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(写真/阿部幹夫さん 所蔵/風の時編集部)「仙台クロニクル」P24-25掲載


「仙台クロニクル」は仙台市内の主要書店または楽天市場にてお求めいただけます。
https://item.rakuten.co.jp/kazenotoki/10000019/

仙台クロニクル「仙台駅」③ 仙台市電

1923(大正12)年、都市計画指定都市となった仙台市は、主要街路と市電建設を急ピッチで進めた。1926(大正15)年、仙台駅前~大町一丁目間と、東五番丁~荒町間が開通。1928(昭和3)年には環状線、その後、長町線、北仙台線、八幡町線、原町線が開通した。

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河北新報夕刊「仙臺クロニクル 古地図と古写真で観る、原風景。」2021年2月2日掲載)

『仙台クロニクル』今朝の読売新聞で紹介していただきました

「仙台の変遷 写真集でー五輪に沸く駅前」という見出しで、今朝の読売新聞で『仙台クロニクル』を紹介していただきました。

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昭和24年から平成2年まで、赤れんがの宮城県庁舎や藤崎前の若いケヤキ並木の青葉通、木造二階建ての仙台駅舎など、109点の写真を掲載した『仙台クロニクル』は、“次世代に残したい昭和の仙台”をテーマに編集しました。

当時を知る世代の方々はもちろん、若い世代の皆さんや仙台に越してきた方々にも、ぜひご覧いただきたい写真集です。
西大立目祥子さん、写真提供者の熊谷正純さんによる写真解説、戦後仙台の年表付き。1,500冊限定販売 5,500円(+税)


仙台市内でお取扱いいただく書店は下記のとおりです。また、風の時編集部オンラインショップ(楽天市場)でもお求めいただけます→https://item.rakuten.co.jp/kazenotoki/10000019/


【仙台駅周辺】
ジュンク堂TR
TSUTAYA駅前
くまざわエスパル店
丸善アエル
ブックガーデン仙台北口店
火星の庭


【一番町周辺】
金港堂
あゆみブックス一番町
ヤマト屋三越


【仙台東部】
ツタヤやまとまち
ツタヤ荒井
熊谷書店
ヤマト屋東仙台店
ツタヤ利府


【仙台北部】
ゴコー小松島
未来屋中山
ブックスなにわ泉店
ヤマト屋長命ヶ丘
八文字屋泉店
八文字屋セルバ
蔦屋書店仙台泉店


【仙台南部】
紀伊國屋書店
協裕堂ブック
蔦屋書店富沢西店
未来屋名取エアリ店
ツタヤ仙台南店
宮脇書店


【仙台西部】
ヤマト屋八幡店
カネイリミュージアムショップ6(メディアテーク1F)
仙台市博物館ミュージアムショップ

「3.11定点撮影パネル2011-2021(仮)」

震災後の10年間、気仙沼から岩沼まで定点撮影した記録写真を、たくさんの方々に観てもらえるように、図書館、書店、市役所、町役場、公民館、市民センターなどを会場に「3.11定点撮影パネル2011-2021(仮)」公開展示したら良いだろうな。

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仙台クロニクル「仙台駅」② 二代目仙台駅舎

昭和初期の仙台駅および駅前の風景が写された絵葉書。左側の建物は1894(明治27)年に建てられた、木造二階建切妻屋根の二代目仙台駅。その後、数回わたり改修され、戦災で焼失。右側には1926(大正15)年に開通した仙台市電の車両が写る。

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河北新報夕刊「仙臺クロニクル 古地図と古写真で観る、原風景。」2021年1月26日掲載)

『仙台クロニクル』あとがき 【次代に残したい、昭和の仙台。】

明治100年にあたる1968年(昭和43)年頃、「明治は遠くなりにけり」という言葉が流行りました。また、「ひとつ前の世代は垢抜けしないが、ふたつ前の世代にはロマンを感じる」とも良く言われます。ひとつ前は「平成」、そして「昭和」はふたつ前の時代。令和2年の今年、「昭和も遠くなりにけり」という時世になり、昭和にロマンを感じる時代を迎えているのかもしれません。

それは写真を見る眼にも当てはまりそうです。今夏、写真の展示イベントを催した際、若い男女が来場し、(本誌表紙の)写真をふたりで見入っていました。声がけすると「建物も庭もきれいだし、ヨーロッパのどこかのまちかと思いました。昔の宮城県庁舎だったんですか。格好良かったんですね」と、語ってくれました。若年世代が昭和にロマンを感じるという一例でしょう。

2005(平成17)年に、友人らと創刊したフリーペーパー「風の時」のvol.10(2007年7月発行)で、初めて昔の仙台の写真募集を行い、その後、2009年に「NPO法人20世紀アーカイブ仙台」を3社で設立し、広く市民に写真・映像の提供を呼びかけました。おかげさまで、これまで2万枚を超える写真を提供していただきました。

 

そして、2011年3月に起きた東日本大震災
壊滅的な被害を受けたまちと人々の生活。その中でも、写真が自分と家族がその時代を生きてきた証でもあること、そして何よりも心の拠りどころとして写真の持つ意味が再認識されました。この大震災を期に、さらに多くの昭和時代の写真が寄せられたことは、写真の持つ重要性が再確認されたことの裏付けなのかもしれません。

しかし、重要なのはどれだけの数の資料を集めたかではなく、その資料に意味付けされて将来的に活用することができるのかにあります。「記録」(アーカイブ)を形づくるものはシステムやモノではなくヒト。
将来、上手に活用してもらうために、「記録」と「記憶」の組み合わせの塩梅。それは「未来へのプレゼン」とも言い換えることができるのかもしれません。それがサブタイトル「次代に残したい、昭和の仙台」に込めた想いです。

NPO法人20世紀アーカイブ仙台や風の時編集部に提供していただいた写真は、2015(平成27)年3月3日から2020(令和2)年6月2日までの5年3ヵ月間、河北新報夕刊『仙台・あの日 昭和の一葉』で247枚紹介してきました。そのうち本書では、大友衞さん、アラン・バトラーさん、羽田喜作さん、阿部幹夫さん、吉田充郎さん、石川安寿さん、佐々木公裕さん、三浦正利さん、熊谷秀逸さん、熊谷正純さん、安藤哲朗さん、富田義雄さん、飯田暁子さん、佐藤博信さん、西脇和子さん、佐藤昭八郎さん、髙野正義さんからご提供いただいた写真を掲載させていただきました。ありがとうございました。
また、写真という記録に重層的に積み上がる記憶の案内文として、西大立目祥子さん、熊谷正純さんには明瞭な写真解説を起稿していただきました。心より感謝いたします。

 

「人間にとって、生きていくのに最も大事なものは『記憶』で、写真はその記憶を鮮明に蘇らせてくれるもの」これは写真家・浅田政志の実話をもとに制作された映画「浅田家!」のラストシーンの言葉です。

 

昭和30年代以降、便利さと引き換えにまちの個性は少しずつ失われ、残念ながら、仙台も永く紡がれてきた伝統ある風景が次々と消えていきました。しかし、記憶を活用することで“仙台らしさ”を見つけることはできると感じています。

写真は記憶の鉱脈を掘り当てるツールであるかのように、懐かしい想い出が映像となって次々と言葉として表現されます。昭和にロマンを感じるこの時代に、先人が残してくれた大切な宝物である写真の力を改めて信じてみたい、と思っています。

 

2020(令和2)年11月25日
風の時編集部 代表 佐藤正実

 

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【仙台クロニクル掲載写真】「東京オリンピック開幕直前の仙台駅前 (昭和39年)」

東京オリンピックが開幕する6日前の1964(昭和39)年10月4日に撮影された仙台駅前の写真。日曜日とあって、歩道には大勢の行楽・買い物客の姿が見える。
光デパートには大きな東京オリンピックのポスターが飾られている。その左下のキリンビールの看板には「仙台食堂」の文字が読み取れる。(写真/熊谷秀逸さん 所蔵/風の時編集部)

f:id:kaze_no_toki:20210126154419j:plain「仙台クロニクル」P74-75掲載
「仙台クロニクル」は仙台市内の主要書店または楽天市場にてお求めいただけます。
https://item.rakuten.co.jp/kazenotoki/10000019/