「震災アーカイブをいかに活用するか」という議論が始まっています。
記録を、ゆくゆくどう活用してもらうべきかという話し合いをもつことは大切だと思いますが、その前にまだやるべきごとがあります。アーカイブの基本は、収集、保存、編集、閲覧。活用するまでのルーティン・ワークとして、どれひとつとして外せるものはありません。ただ、最近は「集められた素材」イコール「アーカイブ」として語られることが多く、集めたらそれで一丁上がりと思われている節が気になります。
将来の活用を考えると、編集なしに利活用は考えられません。例えば、2011年4月7日夜中に起きた最大余震。なんの編集をせずに写真にキーワードを付けるとすれば、おそらく「4月7日」「23時32分」「M7.1」「震度6強」「建物倒壊」「停電」と「撮影者」、「撮影日時」程度ではないでしょうか。問題は、それで100年後の人にこの「4月7日」という日が伝わるのか、ということです。
当時、沿岸部を除き仙台はインフラが戻り、後片付けも済み、買い物やガソリンも並ばずに手にすることができるようになりました。1週間後の4月15日には桜の満開宣言が出され、春の陽気を感じていたときです。
ところが再び6強の強い地震が東北を襲いました。400万戸が停電し、建物はさらに倒壊。余震は止まず、また大地震が来るのではないかという不安と恐怖・・・。元の生活に戻りつつあると感じていた市民の心は折れました。そんな人々の気持ちが写真に付加されてこそ、100年後の人にも理解してもらえるアーカイブになるのではないでしょうか。
機械的に写真から読み取れる情報だけではなく、感情まで記録することでアーカイブは実用性、実効性を持つものになる、そう感じています。
2014年2月25日
2011年4月7日震度6強の地震により、再び家財道具が倒れる。