明治維新後、仙台藩の藩校であった「養賢堂」講堂は初代の宮城県庁として使われた(写真左側建物)。その隣に1915(大正4)年に完成した木造二階建ての庁舎が写る。養賢堂表門は若林区南鍛冶町泰心院山門として現存。 (河北新報夕刊「仙臺クロニクル 古地図…
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