【仙台の原風景を観る、知る。】風の時編集部 公式ブログ

“仙台の原風景を観る、知る。”をテーマに、フリーペーパー「風の時」14刊を発行(2005年5月号~2008年7月号)。仙台の古写真集や藩政期~昭和時代の復刻地図、復刻絵葉書などを企画・発行。 ●風の時編集部 代表 佐藤正実 ●Eメール:info@sendai-city.net ●TEL:022-295-9568 ●〒983-0852 仙台市宮城野区榴岡3-11-5 A610 ○NPO法人20世紀アーカイブ仙台副理事長 ○3.11オモイデアーカイブ 主宰 ○ジモトアーカイブせんだい 代表理事

「風の時」編集部商品

仙台クロニクル「大町・大町一丁目~五丁目」②大町五丁目

この絵葉書は、藤崎百貨店付近から仙台駅方面を写したもの。撮影場所の大町五丁目は油の専売権を与えられた御譜代町で、現在はマーブルロードおおまち商店街となる。商店街の中ほど大町五丁目新丁角には、「大町五丁目始元之地」石碑が立つ。 (河北新報夕刊…

明けましておめでとうございます

新年おめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い致します。 年明け早々に嬉しい出来事がありました。金港堂さんの週間ベストセラー(2021年1月3日付)で『仙台クロニクル』が1位、『仙臺六図』が2位にランクインしました。年末年始にお買い上げいただ…

【おうちでこちず「おひとりさまで古地図まち歩き~自分だけの仙台魅力発信」②】

『仙臺六図/仙台駅界隈』がより楽しめる、木村浩二さんによる解説動画です。 youtu.be また、自分だけのオリジナルマップが楽しめる仙台駅界隈の白地図も無料ダウンロードできます。こちらからどうぞ→http://sendai-city.net/ohitori-map/ohitori-map-senda…

仙台クロニクル「大町頭(おおまちがしら)」④西公園/東北産業博覧会ケーブルカー

1928(昭和3)年に開催された「東北産業博覧会」には、第二会場の西公園から広瀬川対岸の第一会場への乗り物として、仲の瀬橋に隣接した架空ケーブルカーが初登場した。客車の定員は8名。 “科学の進歩 空中散歩”として、2分半の空中旅行が人気を呼んだ。 (…

仙台クロニクル「大町頭(おおまちがしら)」③西公園/東北産業博覧会会場

1928(昭和3)年4月15日から6月8日までの55日間、仙台商工会議所主催で行われた「東北産業博覧会」。第一会場は川内、第二会場西公園、第三会場が榴ヶ岡公園で入場者数は約45万人にのぼった。西公園から川内方面の東北産業博覧会会場を望む絵葉書。 (河北新…

仙台クロニクル「大町頭(おおまちがしら)」②桜ケ岡公園(西公園)

1875(明治8)年、昔の桜馬場の名にちなみ桜ケ岡公園が大町頭の岡に開設。周辺一帯は1928(昭和3)年開催の東北産業博覧会に伴い一新された。榴岡公園が「東公園」と呼ばれたのに対し、桜ケ岡公園は「西公園」と言われ、現在その名が定着した。 (河北新報…

「仙台クロニクル~次代に残したい、昭和の仙台」発売開始

戦災復興期から高度経済成長期、そして昭和を経て平成へー。少しずつ遠ざかっていく昭和時代を写し撮ったこれらの写真は、めまぐるしく変化していく街と、そこに住まう人々の息づかいまでが聞こえてきそうです。当時を知る方には懐かしく思い出がよみがえり…

仙台クロニクル「大町頭(おおまちがしら)」①

仙台城大手門から大橋を渡り、坂道から上りきったところまでが大町頭(おおまちがしら)。幕末に描かれた「安政補正改革仙府絵図」を見ると、三澤信濃や大内縫などの伊達家重臣屋敷が置かれた侍丁だった。その東側は御譜代町の大町で、この道は仙台城下の東…

おうちでこちず『仙臺六図』版①アップしました

『仙臺六図』の商品概要を木村浩二さんが解説してくれています。『仙臺六図』を見ながらお楽しみください。 https://www.youtube.com/watch?v=tII-lSx3ETg

「仙臺六図」の白地図

下記url(QRコード)より「仙臺六図」の白地図を無料でダウンロードすることができます。仙台駅界隈のタイムトリップを楽しんだあとは、ご自分の興味あるまち歩きルートをイメージし、世界にひとつあなただけの地図づくりをお楽しみください。http://sendai-…

仙台クロニクル「国分町」③ 国分町通

「国分町通」と書かれたこの絵葉書には、「ハシモト」と書かれた看板が写る。1928(昭和3)年に発行された仙台市全図と合わせて見ると「同四丁目」と書かれたあたり、現在の広瀬通と国分町交差点やや北側から、青葉神社方面を写したものと推測することができ…

仙台クロニクル「国分町」② 商業の中心地

仙台城下における奥州街道沿いの町人町として、国分町は大町とともに商業の中心として栄えたが、東一番丁の躍進により、金融のまちへと変化していった。その後、東一番丁や虎屋横丁、稲荷小路などの盛り場が移り、国分町は歓楽街へと変貌を遂げた。 (河北新…

『仙臺六図』まもなく発売開始

約330年間、6つの時代の仙台駅界隈(東六番丁・元寺小路)の絵図・地図を見比べて楽しむことができる『仙臺六図』11月12日に発売。「元禄」「寛文」「安政」「大正」「昭和初期」「昭和29年」「現在」の変化をジャバラ折りで見る古絵図&古地図です。1,500…

「センダイ・マガジンをつくろう!」スタート。関連トークイベントも実施。

昨日、第1回目のワークショップが終了。編集・デザイン・ライターなどの養成講座ではなく、参加された市民の皆さんがそれぞれ関心あるネタをもとに企画・起稿・編集してページを作り、それらをまとめて雑誌を作るというチャレンジ。しかも、そのWSを老舗書店…

仙台クロニクル「 国分町(こくぶんまち)」①

奈良時代、木ノ下に陸奥国分寺が創建され、その一帯を国分氏が領有していたが、仙台開府に伴い、木ノ下付近に住んでいた町人などを奥州街道の芭蕉の辻から北側に移し「国分町(こくぶんまち)」とした。当初、通りの東側に10軒、西側に9軒の商人屋敷が置かれ…

仙台クロニクル「芭蕉の辻」⑤ 七十七銀行本店

1878(明治11)年第七十七国立銀行として大町一丁目で営業開始。写真右側は1903(明治36)年に芭蕉の辻東北角に新設された七十七銀行本店。その後、芭蕉の辻西南角、東二番丁広瀬通角を経て、1977(昭和52)年、現在の東二番丁青葉通角に移転した。 (河北新…

『仙台クロニクル 次代に残したい、昭和の仙台』11月下旬発売

河北新報夕刊「仙台・あの日」に5年間連載してきた昭和30-50年代の写真を中心に、昭和24年から平成2年まで仙台中心部を写したカラー・モノクロ写真109点を掲載した写真集です。また、戦後の昭和20年~昭和64(平成元)年まで約半世紀の国内外・仙台の主な出…

仙台クロニクル「芭蕉の辻」④ 共済生命保険株式会社仙台支店

四隅に建っていた城郭式楼櫓は火災で北西角の一つだけとなり、大正時代に共済生命保険会社が取得。1928(昭和3)年発行の同社記念絵葉書には「由緒深き建物を破却するは仙台の一名所を失う所以である」と記され、大改修を施し活用したことが分かる。 (河北…

仙台クロニクル「芭蕉の辻」③ 仙台市電・芭蕉の辻線

1928(昭和3)年に開催された東北産業博覧会に合わせ、実業家八木久兵衛らの献金により、南町通から芭蕉の辻まで延長約300メートルの仙台市電「芭蕉の辻線」が開通した。太平洋戦争の金属類回収令により、1944(昭和19)年にレールが撤去された。 (河北新報…

仙臺クロニクル「芭蕉の辻」② 楼櫓と七十七銀行

芭蕉の辻の北西角に、城郭式の楼櫓(ろうやぐら)が構える(写真左)。藩制期にはこのような楼櫓が辻の四隅にあった。北東角(写真右)は、1903(明治36)年竣工の七十七銀行本店で戦災消失。現在は日本銀行仙台支店が建つ。 (河北新報夕刊「仙臺クロニクル…

「宮城県公民館初任者研修会」

9月17日(木)に行われた2時間半の「宮城県公民館初任者研修会」に参加された約50名の皆様、お疲れ様でした。そもそも滑舌が悪い上にマスクをかけて喋って・・・私の声は聞き取れたでしょうか・・・?大役を果たせてまずはホッとしました。 市民センターの事業と…

仙臺クロニクル 「芭蕉の辻(ばしょうのつじ)」①

仙台城下を東西に貫く大町~名掛丁の幹線道路と奥州街道が交差する、仙台城下の町割りの基点が「芭蕉の辻」である。制札が掲げられたことから「札の辻」と呼ばれていた。辻の東西に連なる大町と南側に置かれた南町は、ともに伊達家に代々仕えてきた御譜代町…

仙臺クロニクル「東一番丁(ひがしいちばんちょう)」⑨ 大通り

東一番丁の大町以南(現在のサンモール一番町商店街)は、1919(大正8)年の大火以降、拡幅されてこのような大通りとなった。歳の市や出店などが開かれ、昼夜の別なく老若男女を惹きつけた。戦後、写真右の屋敷林含め横断するように青葉通が開通した。藤崎屋…

仙臺クロニクル「東一番丁(ひがしいちばんちょう)」⑧ 藤崎デパート

三越が仙台に進出する前年(昭和7年)に竣工した藤崎デパート。

仙臺クロニクル「東一番丁(ひがしいちばんちょう)」⑥ 文化キネマ

「文化横丁」の由来となった文化シネマ

仙臺クロニクル「東一番丁(ひがしいちばんちょう)」⑤ 盛り場

アセチレンのガス灯がゆらぎネオンがきらめく東一番丁。通りの中央には夜店が並ぶ。右手前の建物は南町通に面した太陽会館で、若者たちに人気のカフェがあった。“不夜城”東一番丁は夜更けまで人通りの多い、活気ある通りだった。 (河北新報夕刊「仙臺クロニ…

「“勝手に”仙台七夕まつりガイド」を取材していただきました

TOHOKU360の市民ライターさんが、8月6日に催した「“勝手に”仙台七夕まつりガイド」をレポートしてくださいました。仙台朝市商店街の今庄青果店さん、そして「七夕飾りを作るプロジェクト」さんの七夕飾りも触れてもらっています。ありがとうございました。こ…

仙臺クロニクル「東一番丁(ひがしいちばんちょう)」④ 仙台七夕祭 仕掛物

仙台七夕祭には「仕掛物」と呼ばれる名物もある。店の軒先に舞台を設置し、人形を作って手動で動かす飾りのことで、多い時で三十数台あった。もとは肴町の「浜祭」等で行われていたもので、明治中期から七夕祭に組み込まれるようになった。(河北新報夕刊「…

仙臺クロニクル「東一番丁(ひがしいちばんちょう)」③ 仙台七夕祭

1928(昭和3)年の仙台七夕祭で、仙台商人の心意気を示そうと「第1回全市七夕飾りつけコンクール」が開催された。以降、七夕は年毎に盛大になり、1932(昭和7)年、当時の仙台の人口20万人に対し、人出は15万人という盛況ぶりだった。 (河北新報夕刊「仙臺…

仙臺クロニクル「東一番丁(ひがしいちばんちょう)」②

仙台随一賑わう東一番丁。劇場兼映画館「パテー館」(昭和3年当時は「日活パテー館」)の幟が立つところが現在のフォーラスあたり。この他、昭和初期には、森徳座、仙集館などの映画館が東一番丁に建ち並んでいた。 (河北新報夕刊「仙臺クロニクル 古地図と…