大正12年の関東大震災後の不景気を乗り切るため、
商店街では連合大売出しが企画されました。
従来の七夕にはなかった“商店街の七夕”の登場です。
大正15年には、東一番丁、新伝馬町(現中央通り)、
国分町、南町通、大町五丁目等の商店街が、
連合大売出しを企画しました。
道は人で埋まり、歩くのか運ばれるのか“当人さえも不可解”
だったと当時の新聞は報じています。
当時、肴町では、魚供養をする「浜祭」というおまつりがあり、
七夕時には魚の形をした飾りなどもつるされて行われて
いたようです。スイカやナスなどの野菜型の行灯は
豊作祈願、大漁網は豊漁祈願を意味しました。
また、七夕線香はお盆の供養を意味し、七夕がお盆の行事と
つながりがあったことを示します。
↑大正時代の肴町の七夕まつりの風景
「七夕七彩」P18?19掲載(仙台市歴史民俗資料館所蔵)
「仙台七夕まつり 七夕七彩(ななさい)」
(A5判カラー100ページ 復刻七夕絵葉書8枚付)
2,000円(税込) 2,300円(税・送料込)
企画・製作/(有)イーピー「風の時」編集部
2007年7月25日発行
ネットショップからも購入ができます→こちら
webサイト『仙台七夕まつり 「七つ飾り」のつくりかた』
http://www.sendai-city.org/tanabata.htm/
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