二代目仙台藩主伊達忠宗(ただむね)公が、徳川幕府に東照宮権現の仙台勧請を申し出て、着工から5年後の1654(承応3)年に落成した東照宮。
造営にあたった人足58万人、大工13万人、材木2万5千本という藩の大事業であり、翌1655(明暦元)年から9月17日を祭典日と定め、仙台藩最大の祭り「仙台祭(せんだいまつり)」は「招魂祭(しょうこんさい)」などと名前を変えながら江戸時代末まで盛大に行われた。
この地はもともと「玉手ケ崎(たまてがさき)」と呼ばれ、1591(天正19)年に徳川家康公が葛西大崎一揆の視察後、江戸に戻る途中政宗公と宿陣した場所であることから、社地として選ばれたと言われている。
小さく地図にも書かれているように、この地にあった天神社(現:榴ヶ岡天満宮)は東隣に遷御され、その後、榴岡に移された。
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