仙台城下創設の際、奥州街道にほぼ並行し東に順次割り出されたのが東一番丁~東五番丁。なかでも東一番丁は仙台随一の賑わうまちとなった。藩政期は固有の丁名・町名以外にも俗称名でも呼ばれるまちがあり、現在の広瀬通の西北角に仙台藩の糠蔵が建っていたことから、東一番丁の北部は「糠蔵丁(ぬかぐらちょう)」とも呼ばれた<※地図下端に(元ヌカクラ丁)の表記あり>。
(河北新報夕刊「仙臺クロニクル 古地図と古写真で観る、原風景。」2020年7月14日掲載)
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本コーナーで紹介する『1928/昭和3年 仙台市全図』は、仙台市が長町や原町、南小泉を編入した記念すべき年に発刊された地図で、仙石線全線開通、東北産業博覧会開催なども描かれています。市内主要書店、楽天市場で好評取扱中→https://item.rakuten.co.jp/kazenotoki/10000017/