風の時編集部 【仙台の原風景を観る、知る。】

“仙台の原風景を観る知る”をテーマに、2005年「風の時編集部」を設立。100年前の古地図『仙台地図さんぽ』や仙台城下絵図『仙台まち歩きシリーズ』、昭和時代の写真集『仙台クロニクル』等を企画。2023年現在42作を発行 ●風の時編集部 代表 佐藤正実 ●Eメール:info@sendai-city.net ●TEL:022-295-9568 ●〒983-0852 仙台市宮城野区榴岡3-11-5 A610 ●楽天市場ショップ→http://rakuten.co.jp/kazenotoki/

『仙台クロニクル』あとがき 【次代に残したい、昭和の仙台。】

明治100年にあたる1968年(昭和43)年頃、「明治は遠くなりにけり」という言葉が流行りました。また、「ひとつ前の世代は垢抜けしないが、ふたつ前の世代にはロマンを感じる」とも良く言われます。ひとつ前は「平成」、そして「昭和」はふたつ前の時代。令和2年の今年、「昭和も遠くなりにけり」という時世になり、昭和にロマンを感じる時代を迎えているのかもしれません。

それは写真を見る眼にも当てはまりそうです。今夏、写真の展示イベントを催した際、若い男女が来場し、(本誌表紙の)写真をふたりで見入っていました。声がけすると「建物も庭もきれいだし、ヨーロッパのどこかのまちかと思いました。昔の宮城県庁舎だったんですか。格好良かったんですね」と、語ってくれました。若年世代が昭和にロマンを感じるという一例でしょう。

2005(平成17)年に、友人らと創刊したフリーペーパー「風の時」のvol.10(2007年7月発行)で、初めて昔の仙台の写真募集を行い、その後、2009年に「NPO法人20世紀アーカイブ仙台」を3社で設立し、広く市民に写真・映像の提供を呼びかけました。おかげさまで、これまで2万枚を超える写真を提供していただきました。

 

そして、2011年3月に起きた東日本大震災
壊滅的な被害を受けたまちと人々の生活。その中でも、写真が自分と家族がその時代を生きてきた証でもあること、そして何よりも心の拠りどころとして写真の持つ意味が再認識されました。この大震災を期に、さらに多くの昭和時代の写真が寄せられたことは、写真の持つ重要性が再確認されたことの裏付けなのかもしれません。

しかし、重要なのはどれだけの数の資料を集めたかではなく、その資料に意味付けされて将来的に活用することができるのかにあります。「記録」(アーカイブ)を形づくるものはシステムやモノではなくヒト。
将来、上手に活用してもらうために、「記録」と「記憶」の組み合わせの塩梅。それは「未来へのプレゼン」とも言い換えることができるのかもしれません。それがサブタイトル「次代に残したい、昭和の仙台」に込めた想いです。

NPO法人20世紀アーカイブ仙台や風の時編集部に提供していただいた写真は、2015(平成27)年3月3日から2020(令和2)年6月2日までの5年3ヵ月間、河北新報夕刊『仙台・あの日 昭和の一葉』で247枚紹介してきました。そのうち本書では、大友衞さん、アラン・バトラーさん、羽田喜作さん、阿部幹夫さん、吉田充郎さん、石川安寿さん、佐々木公裕さん、三浦正利さん、熊谷秀逸さん、熊谷正純さん、安藤哲朗さん、富田義雄さん、飯田暁子さん、佐藤博信さん、西脇和子さん、佐藤昭八郎さん、髙野正義さんからご提供いただいた写真を掲載させていただきました。ありがとうございました。
また、写真という記録に重層的に積み上がる記憶の案内文として、西大立目祥子さん、熊谷正純さんには明瞭な写真解説を起稿していただきました。心より感謝いたします。

 

「人間にとって、生きていくのに最も大事なものは『記憶』で、写真はその記憶を鮮明に蘇らせてくれるもの」これは写真家・浅田政志の実話をもとに制作された映画「浅田家!」のラストシーンの言葉です。

 

昭和30年代以降、便利さと引き換えにまちの個性は少しずつ失われ、残念ながら、仙台も永く紡がれてきた伝統ある風景が次々と消えていきました。しかし、記憶を活用することで“仙台らしさ”を見つけることはできると感じています。

写真は記憶の鉱脈を掘り当てるツールであるかのように、懐かしい想い出が映像となって次々と言葉として表現されます。昭和にロマンを感じるこの時代に、先人が残してくれた大切な宝物である写真の力を改めて信じてみたい、と思っています。

 

2020(令和2)年11月25日
風の時編集部 代表 佐藤正実

 

f:id:kaze_no_toki:20210127080731j:plain