赤レンガが美しかった宮城県庁舎。解体せずに、他のまちのように活用する手立てはあっただろうに。今から見ると実にもったいない!
宮城県庁設計者は、第二高等学校に学び、青春時代を仙台で過ごした佐藤功一氏。
「私が見た日本の計画された城下町で、こんなにいいと思ったものはない。ひょっとすると伊達政宗が支那か西洋かの街のプランニングを取り入れたものではなかろうか」(「さよなら昭和の殿堂」より引用)」と、仙台のまちを評したとか。
岩手県公会堂、早稲田大学大隈講堂、群馬県庁舎、栃木県庁舎、日比谷公会堂、そして旧仙台第二高等学校を手がけた設計者で、残された建物群は、今見ても威風堂々。
建築は全くの門外漢だけど、建築物そのものの価値もさることながら、その建物とともに刻んできた時や佇む風景を大事にすることが、まちに愛着を持つことにつながるのかも。その意味では宮城県美術館が残って本当に良かった。
(「仙台クロニクル」P115掲載)
「仙台クロニクル」のお求めは仙台市内書店、または風の時編集部オンラインショップでどうぞ→