来週の土日は「仙台・青葉まつり」ですね。
今号の「風の時」の表紙、2008年カレンダー4・5月ページにも
掲載しておりますが、昭和30年代前半の青葉まつりの写真を
アップしておきます。
青葉まつりは戦後復活(青葉まつり協議会では昭和31年に復活
したと解説)しているのですが、戦前・戦後の開催時期が
ぼんやりしている感も否めません。昭和〜30年あたりの仙台の祭り
をまとめた資料はないものでしょうか?
昭和10年の伊達政宗公没後300年祭でも、青葉まつり(らしき祭り)
は復活しているのですが…。
↑昭和31年頃 青葉神社前(撮影:阿部幹夫氏)
↑昭和31年頃 御神馬をひき堤通りを練り歩く(撮影:阿部幹夫氏)
↑昭和31年頃 前市役所庁舎前(撮影:阿部幹夫氏)
↑昭和30年代前半 (撮影:阿部幹夫氏)
↑昭和30年代前半 炊き出し(撮影:阿部幹夫氏)
↑昭和30年代前半 武者行列休憩中(撮影:阿部幹夫氏)
”仙台祭“とよばれた東照宮祭礼は、藩政時代、東日本屈指の
祭として知られていた。
1655(明暦元)年、東照宮建立の翌年に始まったこの祭の
主役は祭礼行列で、足軽組・騎乗の武頭(さむらいがしら)と
供廻(ともまわり)、その後に各町の山車(だし)、御輿(みこし)と続く。
各町は豪華な山車を誇り、大きなものは高さ約12メートル、
担ぎ手は最大72人、最も多い年で70台もの山車が城下を
練り歩いたとされる。
『かかる大祭なれば、近在遠在はもとより、近國遠國までも音に
聞こえて群衆せり』(やくたい草)の記述があるように、祭礼当日の
仙台城下は大変賑わったという。
明治維新後は、天長節奉祝(明治4年)、桜ヶ岡神宮祭礼(明治5年)、
青葉神社祭礼(明治15年)、招魂祭(明治20年以降)にその伝統が
受け継がれたが、1899(明治32)年の仙台開府300年祭を最後と
している。
戦後、まつりが復活。その後、昭和40年に途絶え、伊達政宗公没後
350年祭の1985(昭和60)年に青葉神社例祭を市民の祭りとして
復活したのが「仙台・青葉まつり」。
今年で第24回目を迎え、5月17日(土)、18日(日)に開催される。
高さ約6メートルの山車は往時に比べ小振りではあるが、藩政期の
町人たちの粋を感じつつ、すずめ踊りのお囃子とともに仙台の
時代絵巻を味わいたい。
(「風の時」13号 表紙説明より)
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ちなみに、下の写真は明治後期〜大正中頃の青葉神社。
また、年代の特定はできないが、このような
「青葉神社祭典 仮装行列」というキャプションの
入った絵葉書もある。