2020-07-01から1ヶ月間の記事一覧
1928(昭和3)年の仙台七夕祭で、仙台商人の心意気を示そうと「第1回全市七夕飾りつけコンクール」が開催された。以降、七夕は年毎に盛大になり、1932(昭和7)年、当時の仙台の人口20万人に対し、人出は15万人という盛況ぶりだった。 (河北新報夕刊「仙臺…
仙台随一賑わう東一番丁。劇場兼映画館「パテー館」(昭和3年当時は「日活パテー館」)の幟が立つところが現在のフォーラスあたり。この他、昭和初期には、森徳座、仙集館などの映画館が東一番丁に建ち並んでいた。 (河北新報夕刊「仙臺クロニクル 古地図と…
2000(平成12)年に榴岡小学校の児童が地元商店で職場体験をした「ゆうゆう弟子入り留学」。資料を見ると、子どもたちが弟子入りしたのは小西糸店、沼田種苗店、板垣果物店、庄謙商店、八百文商店、佐々寛畳工業所、関紙店、八重樫酒店、佐藤蒲鉾店、飯塚海…
仙台城下創設の際、奥州街道にほぼ並行し東に順次割り出されたのが東一番丁~東五番丁。なかでも東一番丁は仙台随一の賑わうまちとなった。藩政期は固有の丁名・町名以外にも俗称名でも呼ばれるまちがあり、現在の広瀬通の西北角に仙台藩の糠蔵が建っていた…
東長町小学校の校長先生は、20年前に榴岡小で「仕事を通して地域の人々の生き方を知る」という理念のもと、取り組まれた総合学習「ゆうゆう弟子入り留学」の提唱者だそうです。先生曰く「子どもたちのやる気だけではなく、子どもたちを受け入れてくれたまち…
1889(明治22)年4月、宮城県内初の市である「仙台市」が誕生。写真は市制施行時から昭和4年まで仙台市役所として使われた木造平屋建ての初代庁舎。その後、1929(昭和4)年に鉄筋コンクリート造3階建庁舎が完成。 (河北新報夕刊「仙臺クロニクル 古地図と…