風の時編集部 【仙台の原風景を観る、知る。】

“仙台の原風景を観る知る”をテーマに、2005年「風の時編集部」を設立。100年前の古地図『仙台地図さんぽ』や仙台城下絵図『仙台まち歩きシリーズ』、昭和時代の写真集『仙台クロニクル』等を企画。2023年現在42作を発行 ●風の時編集部 代表 佐藤正実 ●Eメール:info@sendai-city.net ●TEL:022-295-9568 ●〒983-0852 仙台市宮城野区榴岡3-11-5 A610 ●楽天市場ショップ→http://rakuten.co.jp/kazenotoki/

2019-03-01から1ヶ月間の記事一覧

最近気になった文 『ひこうき雲』(著・重松清)より

「ひとに伝えるのがいちばん難しいにおいのほうが、目で見た風景より記憶に深く刻まれている。こんな感じなんだと、頭で思い出すことはできても、古いアルバムを眺めるときのように、ああこれだ、これなんだ、と確かめることはできない。うまく言葉にして伝…

政宗公晩年の居城「若林城」の復元は夢物語ではないのかも

若林城趾に明治初め宮城刑務所が作られたことは、見方を変えれば、国の施設が建ったおかげで地下に眠る重要な文化財が150年間手つかずで残された。とも言えるわけで。 「伊達政宗 晩年8年間の居城・若林城研究」3日間のシンポジウムをまとめると、老朽化が進…

定点撮影/大正時代の仙台城大手門と現在

竣工直後の宮城県スポーツセンター(昭和39年)

広瀬川を挟み、市民プール向かい側の駐留米軍跡地に造られた宮城県スポーツセンター。大規模集会や展示会場としても使われた。その後、より収容人数の多い仙台市体育館や宮城県総合運動公園体育館が開設され、2006(平成18)年閉館。写真奥(建物の裏側…

伊達政宗公のあの有名なエピソードはホント?

一代で仙台62万石の礎を築いた伊達政宗公は、“奥州の勇”と呼ばれ誰もが認める屈指の人気武将です。 1987(昭和62)年に放送された、年間平均視聴率歴代最高の39.8%を記録したNHK大河ドラマ『独眼竜政宗』は、最高傑作に推す声も多いとか。 波乱の生涯を送っ…

第122回井戸端塾 『100年ぶりの写真集刊行 仙臺アルバムの楽しみ方』

昨夜の「井戸端塾」では、大正時代の仙台を記録した2人、古地図「仙台市全図」の琴田氏と、写真集「仙臺アルバム」の白崎氏をご紹介しました。 明治末〜大正初期当時、これから発展していく仙台に欠けているモノをそれぞれが憂い、「今作らなくては」と意を…

仙台城、若林城。仙台のふたつの城は格式の高い“御殿”なのだ

今日は郷土史家 菅野正道さんの「若林城に見る政宗の築城意識」を聴講。仙台城も若林城も“軍事要塞”というより“御殿”としての性格が色濃いというお話しでした。 若林城は、高さ5〜6メートルの土塁と60メートル程の堀を備えていて一見防御性が高いようにもみ…

青葉通・東二番丁通交差点の富士銀行(昭和38年)

市営バスは白帯のロングシート車で、ワンマン化される以前。赤いバスは貸し切りバスの帝産観光バス(帝産オート)。横断歩道を示すゼブラ塗装はなく、左手歩行者は点々と並ぶ丸い道路鋲を目印に歩く。 富士銀行のあった場所に、現在は地上24階建の仙台ファー…

104年前に発行された写真集の楽しみ方を3月22日にお話しさせていただきます。

仙台市制130年を迎える節目の年を記念して、大正4年に発刊された170ページにおよぶ写真集「仙臺アルバム」を、今夏復刻する予定で制作を進めています(ご予約も受付中です)。 数冊しか現存しない「仙台アルバム」の原本 この「仙臺アルバム」は、名所旧跡や…

あれから8年スペシャル

今回で4回目を迎える市職員の体験を後世に伝えるteam sendaiさんのイベント「あれからスペシャル」。 朗読、記録映像、新作仙台版クロスロード、防災ファッションショー、サバ飯試食の他、昨日はなんとテーマソングまで披露(この楽曲で震災10年の2021年には…

名掛丁(なかけちょう)

仙台藩は、藩臣を「御一門」「御一家」「準御一家」「御一族」「御宿老」「御着座」「御太刀上」という7等の門閥の下に「大番士」「組士」「卒」を置いた。その組士をさらに11に分けた中に「名懸掛」と呼ばれる役があり、記録によると当時名懸組は111家あっ…

「福室100景 いいトコガイド」

昨年春と夏に、少しお手伝いさせていただいた「福室100景 いいトコガイド」が完成したようで、見本誌が送られてきました。 地元の方々が「ザリガニ通り」と呼ぶ用水脇の細い道が、かつて七ヶ浜から仙台まで魚を運んだ「浜街道」だったというのは新発見でした…

朝日新聞社提供 80年前の貞山堀映像と3.11オモイデツアー、ネット配信

朝日新聞社提供の戦前の貞山堀(御舟入堀)を昨年12月9日(日)3.11オモイデツアーで初披露し、その時の様子は年末に東日本放送「スーパーJチャンネル」(KHB)で放送されましたが、本日同番組がネット配信されました(約4分間) 「津波に遭うまでは…」80…

仙台地図さんぽアプリ版

明治43年、第二師団退役後に仙台城下を調査した琴田氏。名所旧跡、地名、通名、店名はもちろん、古老から聞いた言い伝えや名のある木や石までを詳細に仙臺市全図に描き込みました。その地図をもとにしたアプリ版は、GPS対応なので、今いる場所の100年前の様…

日本フィギュアスケート発祥の地 五色沼(昭和39年)

仙台市博物館手前の五色沼は、日本におけるフィギュアスケート発祥の地と言われ、1960 年代半ば頃までは、沼面が凍ると市民はスケートを楽しんだ。民間企業が借り受け有料スケート場となったこともある。 撮影された1964 (昭和39)年は2月下旬の寒波が厳し…

微笑みがいっぱい

そして、3月12日は新しい歳を 迎えたような気になる日でもあり。 それを祝うかのように境内は微笑みが溢れる。 有難う^ ^

3月12日の太陽

8年前。余震の続く中、 太陽が昇ることに大きな力を もらった朝だったっけ。

3月11日。3分間の黙祷を捧げる

地震で揺れていた時間と同じ 3分間の黙祷を、深沼海水浴場で。

3月10日(日)震災関連のイベントが目白押し

3月10日(日)。今日は友人・知人が主催する東日本大震災関連の催しの数が半端ない。 先に謝まっておきます「顔を出せずごめんなさい」

今年の3月11日の過ごし方

思い返してみると、3月11日は毎年なにかと催し物に携わっていたような。今年はふらりと沿岸部に立ち寄って花を手向けることにしよう。

天神さんの白梅も散り始め

早咲きの天満宮の梅花は散り始め。 今年も長く楽しませてもらいました。

もったいない、土地の記憶

東北大農学部の跡地は、何本かの樹と雨宮神社を残してすっかり更地に。長年の土地の記憶を何かひとつでも残そう、とは思わなかったのかな(私が知らないだけで、もしかしたら隠し球があるのかもしれないけれど)。 沿岸部の震災前の町並みが、人の心に刻まれ…

完成したばかりの宮城球場(昭和25年)

戦後、仙台の野球場は八木山と評定河原にあったが、いずれも設備が劣り不便な施設だった。陸軍練兵場だった宮城野原に県営宮城球場が完成したのは1950(昭和25)5月。以来、多くの野球人を輩出し、現在は2004(平成16)年、50年ぶりにプロ野球に新規参入した…

「 見る、聴く、話す。それぞれの3.11(こたつで話しましょ)」を振りかえる

2月22日〜24日、宮城野区文化センターで催された「あなたのオモイ それぞれのカタチ」からすでに約10日が経ちましたが、今さらながら簡単にふり返りなどを。 2Fフロアにゴザを敷いてこたつを置き、みんなで暖まりながら楽しむこたつサロン、なかなかイイ雰囲…

空から見た仙台中心部(昭和25年)

写真のほとんどは空襲による焼失エリア。仙台市は戦災を機に復興街路計画を一気に実行し、青葉通、広瀬通などを新設した。晩翠通(細横丁)、東二番丁、東五番丁などを大幅に拡幅し、勾当台には公園も新設。所要の土地のほとんどは住民からの拠出であり、強…

「のんびる」に「3月12日はじまりのごはん」掲載

『のんびる』(vol.149 2019年3月号)特集のテーマは“拾いきれなかった声を聞きに行きました”。写真が呼び起こす小さな声というタイトルで「3月12日はじまりのごはん」を4ページにわたって取り上げていただきました。 インタビューにはせんだいメディアテー…

【定点撮影/大正時代の第二高等学校(旧制二高)と現在】

もっと、遊びましょ

「遊び」は「ふざける」という意味だけではなく、クルマのハンドルの「あそび」のように「余裕」みたいなものも含むんですよね。場が窮屈にならないように。決め事で頭がカチンカチンにならないように。「遊び」がないと笑顔も生まれないしねぇ。大事、大事…

石切丁(いしきりちょう)

覚性院丁から八幡町に出るへくり沢の西側のまち。寛文時代には橋の東南部にお城出入りの御職人石切の屋敷があった。1664(寛文4)年に描かれた絵図には「石切」とだけ記されている)石切橋から八幡町に至るこの道は、城下と石巻・山形を結ぶ要路で人馬が絶え…