風の時編集部 【仙台の原風景を観る、知る。】

“仙台の原風景を観る知る”をテーマに、2005年「風の時編集部」を設立。100年前の古地図『仙台地図さんぽ』や仙台城下絵図『仙台まち歩きシリーズ』、昭和時代の写真集『仙台クロニクル』等を企画。2023年現在42作を発行 ●風の時編集部 代表 佐藤正実 ●Eメール:info@sendai-city.net ●TEL:022-295-9568 ●〒983-0852 仙台市宮城野区榴岡3-11-5 A610 ●楽天市場ショップ→http://rakuten.co.jp/kazenotoki/

2019-01-01から1ヶ月間の記事一覧

東一番丁藤崎周辺(昭和25年)

青葉通の南側から見た1950(昭和25)年の東一番丁。現在はアーケードに変わっているが、交差点の左はひらつか。右手前は七夕飾りで有名な森天祐堂、只見せともの店、パンと洋菓子の信用堂、岩間靴店などが並んでいた。藤崎デパートは屋上階を増築し、展望台…

定点撮影/大正時代の仙台城大手門と現在

何度も再建の噂が出ては消える大手門。いつか仙台城大手門が建っているこの姿を拝みたい。お城の保全のためにもクルマは通らなくてもいいのでは?どうしてもクルマという方は向山経由で。観光客の皆様も登城路からどうぞー。あの坂を侍気分で登れば、仙台城…

ないものねだりではなく、あるもの自慢。

昨日の「地域情報発信サポーター要請講座」では、「せんだいコンセキ発掘塾」3達人(木村さん、太宰さん、皆川さん)の視点をもとに、道路や建物、橋、丘など何気ない普通の風景も、見方を変えればまちの宝物になるということを実例でご紹介しました。「なぜ…

鹿落坂から望む広瀬川と中心部、大正期と現在の定点撮影

藩政期の仙台の姿が色濃く残る大正時代。 鹿落坂から望む広瀬川と仙台の中心部。 写真に写るのは、およそ100年間の仙台の変化ぶり。 100年前の仙臺の記録を、活用しながら 100年後にも残せるといいな。 ※↓同時期に発行された下の記事(地図)と合わせてお楽…

咲き始めの梅も寒そうな

鹿落坂(ししおちざか)

霊屋橋から南方の向山を登る坂を「鹿落坂」という。藩政期にはこの辺りには鹿と猪が多く棲み、鹿猪の巻狩(※)の場でもあった。鹿や猪がこの坂を下り広瀬川河原に食物を求めに降りてくることから鹿落坂という名がついたという。元来険しかったこの坂も、八木…

東一番丁のサンモール一番町周辺(昭和25年)

1945(昭和20)年の空襲で、東一番丁は廃墟と化したが、生計を立てようと東一番丁には多くの人々が集まった。戦後5年が経過し、市は露天を減らす計画で中央市場(現・壱弐参横丁)を整備した。写真は整備途中の1948年に火災焼失した後の再建途上のもの。 (…

3.11オモイデツアー番外編 「新春初笑い 今野家がめらさん 荒浜寄席」

東方落語の今野家がめらさんと、沿岸部で寄席をやりたいねぇ〜と以前から話していたのが、昨日やっと実現!しました。たけぴによる日本初ウクレレ出囃子からスタートし、さすが!がめらさん!!の大笑いあり、ほろっとする噺ありの荒浜寄席でした。 オモイデ…

柳町通(別名/孝勝寺通)

柳町に通じる通りで、柳町大日堂前から六道の辻〜孝勝寺下馬先までを「柳町通(やなぎまちどおり)」と称し、別名「孝勝寺通(こうしょうじどおり)」とも呼ばれた。 柳町通は藩制時代初期はこの東七番丁までだったが、寛文時代までに孝勝寺前まで東進した。…

二つ以上前の時代にロマンを感じるという法則

「ひとつ前の時代はダサく、二つ以上前になるとロマンを感じる」という法則があるらしく、それに従えば、昭和は古くさく、明治・大正はロマンを感じて格好良い!となる。確かにそれはなんとなく分かるような。ということは、平成時代が間もなく終わって、次…

春遠からず

早咲きの榴岡天満宮の梅が 一輪開花したもよう🌸

阪神淡路大震災、24年目の朝。

阪神淡路大震災から 24年目の1月17日の朝。 “自分事”にし続けることを考える。

新設された青葉通(昭和25年)

仙台駅舎を背にし、戦後新設された青葉通を写した写真。右から「丸光デパート」、「丹六洋菓子店」、そして食堂や旅館などが建ち並ぶ。 写真右側にオート三輪が写り、後ろには荷馬車が続く。その前の大きなトレーラーバスは、仙台市が1949(昭和24)年に2台…

2019年最初の放送。月一のぶっつけ本番ラジオ「トーク&トーク」

月一でお世話になっているパーソナリティ 鈴木 悦子さんのラジオ番組「トーク&トーク」本日12時〜17時〜の2回放送です(FM76.2MHz)。 2019年最初の放送なので、仙台市制130周年企画の風の時商品や3.11オモイデアーカイブの取り組みについて今年の抱負など…

「それでも、下水は止められない。」

1月22日から、せんだい3.11メモリアル交流館で始まる企画展「それでも、下水は止められない。」 2011年3月11日、仙台市の約7割の下水を処理する南蒲生浄化センターが津波被災。その時、センター内で何が行われたのか。楽しみな展示です。

「あなたのオモイ それぞれのカタチ」に初参加します

2019年2月22日(金)〜24日(日)宮城野区文化センターで催される「あなたのオモイ それぞれのカタチ」に、3.11オモイデアーカイブが初参加します。 3.11オモイデアーカイブのイベントタイトルは「見る、聴く、話す。それぞれの3.11」。共感できる、ダレもが…

戦前の仙台を思い出し描いた絵をまとめた「昭和見聞録」

昭和2年生まれ、御年92歳のおじいちゃんが、戦前の仙台の風景や生活を思い出し描きためてきた絵。この度、一冊の本にまとまったそうです。この観察眼と記憶力、そして画力!お見事過ぎます!! 子どもの頃はいつも煙突に登ってたからスイスイ描けたという裏…

木ノ下(きのした)

千余年前、古今和歌集に「みさぶらい御笠と申せ宮城野の木ノ下露は雨にまされり」と詠まれるなど、木ノ下は陸奥への憧憬を誘う歌枕の地であった。 古は老木大樹に囲まれ、昼間でも薄暗いほどうっそうと生い茂っていたことからこの名がついた。 奈良時代中期…

戦後復興のシンボル4代目仙台駅(昭和25年)

復興のシンボルとして多くの人々から親しまれた4代目の仙台駅舎は1949(昭和24)年7月竣工。 南町通から仙台駅を眺めた風景で、駅前広場に沿って市電の停留所があり、常時数台の電車が行き交っていた。循環線に連結する長町、北仙台、八幡町、原町各線の運行…

2019年の「仙台あの日」は戦後復興期の仙台からスタート

河北新報夕刊に毎週火曜日掲載している「仙台あの日」。 2019年は、戦後復興期の仙台を写した昭和25年発行の絵葉書の紹介から始めます。同時期に作られた「昭和24年版 復刻JTB仙台市街圖」と合わせて、市制60周年、そして戦後復興を遂げつつある仙台の姿をお…

八ツ塚(別名/新寺小路)

現在、新寺小路と呼ぶ東八番丁東部一円は、かつて「八ツ塚(やつづか)」と呼ばれた。一面野畑の中に由来のわからない古塚が八つあったことからこの名がついた(国司や豪族など名のある人の墓であると言われている)。 寛永13〜14(1636〜37)頃、城下の拡張…

3.11オモイデツアー(番外編)「新春初笑い^^ 今野家がめらさん 荒浜寄席」

【3.11オモイデツアー(番外編) 「新春初笑い ^^ 今野家がめらさん 荒浜寄席」】 3.11オモイデツアー2019年のスタートは初笑いから(^^) 里海荒浜ロッジに、東方落語の今野家がめらさんがやってきます。笑いあり、ほろりとするお話ありの噺をたっぷりとお楽…

2019(平成31)年は市制130周年、政令指定都市・区政移行30周年を迎える仙台

2019年は市制130周年、そして政令指定都市・区政移行30周年という節目を迎える仙台。 10年前の市制120周年では、「せんだい地図さんぽ」を制作・発刊しましたが、2019年は、以前よりあたためてきた現存数冊という貴重な大正時代の写真集「仙台アルバム」の復…

東日本大震災から8年目を迎える2019年

あけましておめでとうございます。穏やかな新年を迎えました。 東日本大震災から8年目を迎える2019年。 自分の「産土(うぶすな)」 である仙台を深堀りする一年にしよう! 本年が皆様にとって佳い一年でありますように。 2019年元旦 佐藤正実