メディアテークの帰り道、青葉通り仙台ユネスコ協会の
前を通り過ぎようとしたとき、そう言えば晩翠草堂も
ユネスコもちゃんと観たことがなかったな、と思い立ち
寄ってみた。
昭和22(1947)年、仙台ユネスコ協力会が発足した。
これは世界初の民間ユネスコ協会であり、発会式において
「日本人がユネスコを通して世界平和に貢献する」決意が
表明された。
この声明は障子紙に書かれてパリのユネスコ本部に送られ、
その年に開かれたユネスコ総会で大きな反響を呼んだ。
国際連合加盟の5年前に仙台の地でスタートした民間
ユネスコ運動は、日本の国際社会への復帰と貢献の原点
であり、ユネスコへの加盟が認められる原動力ともなった。
その後の様々な活動なども評価され、昭和59(1984)年、
第1回民間ユネスコ運動世界大会が仙台で開催されている。
(以上、社団法人仙台ユネスコ協会入り口パネルより)
昭和59(1984)年第一回民間ユネスコ運動世界大会が
仙台市で開催されたのを記念し、佐藤忠良氏制作の
「ブーツの娘」が榴ヶ岡公園に建立されました。
同様の像がパリのユネスコ本部前にもあり仙台市の像と
向かい合う形で建立されております。
海を隔てて向きあう二人の”娘”の台座には
「戦争は人の心の中でうまれるものであるから、人の心の中に
平和のとりでを築かなければならない」と銘記されており、
このユネスコ憲章を胸に平和を願い、互いに見つめあっています。
(以上、社団法人仙台ユネスコ協会入り口HPより)
仙台のユネスコというのは日本の中でも先駆け
だったんですね。戦後、日本が国際社会へ復帰する
原動力にもなっていたなどとは知りませんでした。