風の時編集部 【仙台の原風景を観る、知る。】

“仙台の原風景を観る知る”をテーマに、2005年「風の時編集部」を設立。100年前の古地図『仙台地図さんぽ』や仙台城下絵図『仙台まち歩きシリーズ』、昭和時代の写真集『仙台クロニクル』等を企画。2023年現在42作を発行 ●風の時編集部 代表 佐藤正実 ●Eメール:info@sendai-city.net ●TEL:022-295-9568 ●〒983-0852 仙台市宮城野区榴岡3-11-5 A610 ●楽天市場ショップ→http://rakuten.co.jp/kazenotoki/

[]晩翠草堂。


↑晩翠草堂の庭

↑「天地有情」の碑

土井晩翠は少年時代から新体誌や英文学を愛好し、
旧制二高進学後は「尚志会雑誌」に誌を発表、東京
帝国大学在学中には、高山樗牛大町桂月などと
ともに、「帝国文学」の編集員を務めた。

明治32(1899)年、樗牛らの支援を受け第一詩集
天地有情」を刊行、清新な熱情と叙情詩的な作風に
よって、詩壇を二分する晩翠・藤村時代を形成した。

明治33(1900)年、旧制二高の教授として帰仙すると
欧州遊学の一時期を除き仙台を離れず、詩集「暁鐘」
「東海遊子吟」「曙光」などを次々と刊行し、詩人と
しての名声を確立するとともに、ホーマーの「イーリアス
「オヂュッセーア」を原典から完訳するなど、文学史上に
大きな足跡を残した。


仙台城にある土井晩翠の胸像

↑「荒城の時」の詩碑

晩翠作詞・滝廉太郎作曲の「荒城の月」は。明治34年
に中学唱歌採録されたもので、世界の人々愛唱されて
いる不朽の名作である。

こうした業績に対し、昭和25(1950)年、詩人として初めて
文化勲章が贈られている。昭和27(1952)年8月、仙台城
本丸跡に「荒城の月」詩碑が建立されたのを見届け、
間もなく永眠した。享年80歳であった。

昭和20年、戦災によって旧邸と3万冊もの蔵書を焼失する
という苦境に陥った際、晩翠会の人々が発案して、晩翠草堂
を建設し贈っている。「天地有情」の碑は、旧制二高の教え子
が晩翠に贈ったものである。
(以上、晩翠草堂入り口パネルより)


仙台のことをいろいろと知らなければいけませんね。
仙台生まれで仙台育ちであるにも関わらず、知らない
ことが多すぎて反省することばかりです。

ちなみに、なぜ急に晩翠草堂の記事を書いたか。
現在制作中の昭和24年地図復刻版に当時の
できごとを調べていたのですが、市制施行60周年
記念式挙行し、本多光太郎、志賀潔とともに
土井林吉(晩翠)が名誉市民に推戴されたからです。
同年4月この年の4月、晩翠草堂前に「天地有情」の
碑が設置されました。