「ひと昔前の仙台市を知っている人に、いまの仙台の
感想を聞いたら口をそろえてこういうに違いない。
“仙台も変わりましたね。何もかも、とっつきにくくなって…”
この言葉には多分に懐古的なひびきがこめられている。
お世辞にもいまの仙台市をほめてはいない。
仙台駅前から西公園に通じる青葉、広瀬の大通りも、
東一番丁のアーケードも、ただダダッ広くてよそよそしくて
かつての市電だけがガッタンゴットンと通っていた駅前と、
夜店で賑わった“番丁”を知るものには、それこそ
とっつきにくい仙台市の表情なのかもしれない。」
実はこの文面、昭和32年の新聞に掲載された
ものなんです。
「昭和30年代の仙台」カレンダーに掲載している
写真を見て、“懐かしい”という人がいる一方で、
その当時の人々(新聞記者)は、さらに前世代を
懐かしがりつつも、警笛を鳴らしていたんですね。