昭和45年の河北新報に
「江戸時代の遊郭解体?仙台南石切町 伊達騒動で“廃業”」
という記事が載っていました。遊郭というと元常盤町(市民会館周辺)
もしくは常盤町(小田原)しかないと思っていましたが、
南石切町(現在では南切石町と表記されていますが、南材木町の東隣の町)
にもあったんですね。
新聞によれば、伊達政宗が若林城(現在の宮城刑務所)を
建てた時に近くに遊郭を作り、その後廃城となり遊郭も移転。
1671年の伊達騒動が起きて謹慎処分の意味で、
15?16件あった遊郭は全て塩釜に追放されたのだ、と。
建物だけが残って貸家として残っていたものらしい、と
結んでいました。
NHK大河ドラマ「樅ノ木は残った」は伊達騒動に新しい解釈を加えた
山本周五郎の歴史小説ですが、ブームとなったこの年(昭和45年)
ならではの記事なのかもしれません。