仙台の歴史的町名復活の議論で、昨年末に検討委員会が
まとめた報告書では、「通り名」の活用を結論づけた。
(1月8日付河北夕刊「河北抄」にも掲載)
「住居表示」ではなく「通り名」の復活というのは、市内に88基
ある辻標などと連携して活用すれば良い。住居表示は簡単に
変更はできないし多くのコストがかかるが、これなら歴史的町名を
資源として活用できそうだ。
なるほど。
ところで、この「住居表示」。
昭和40年の旭ヶ丘地区からスタートし、市内の町名が順次
変わっていった(若林区の一部は変更せず)わけだが、
“住居変更は住民の反対があってなかなか進まなかったん
だろうなぁ”と思い、当時の新聞を見て、やや拍子抜け。
新町名に初めて「待った」がかかったのは昭和46年12月。
事業が始まって6年目の台原・小松島地区。
露無地区の住民が納得いかないと異議を申し立てたのが
まさか“初”とは…。
昭和49年にも南小泉地区で異議を唱え住民が立ち上がった
らしいが…。意外や意外。新住居表示の変更はスムーズだった?