南小泉から深沼街道(地図:右斜め下に真っ直ぐ伸びる道)を東進すると道が文字どおり十文字に交わる場所が「十文字(じふもんじ)」、そしてこれに南接するまちが「長喜城(ちょうきじょう)」である。
この地域は寛永年間以来、新田開発が盛んに行われてきたところであり、長喜城は新田開発の拠点であった。開拓者たちはこの地方を開拓して楽土とし、長く喜びを共にしようと誓い城を築こうとしたところからこの名がついたという。
現在地を示す青ボール直北の「文」は現在の七郷小学校(※)で、深沼街道をはじめ、周辺一帯の町割りはおおよそが現存しており古地図アプリで確認することができる。
(※)1873(明治6)年、荒井不動尊旧法性寺(現七郷神社)に第七大学区第一中学区第九小学区荒井小学校として創設。本地図発行当時の大正14年は「七郷高等尋常小学校」。
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明治38年に測量され大正14年に発行された古地図のアプリ版「大正仙臺 東西南北」と現在地の写真。「大正仙臺 東西南北」はGPS対応、スマホ&タブレット専用古地図アプリです。App Store&Playストアにて600円で販売中。