風の時編集部 【仙台の原風景を観る、知る。】

“仙台の原風景を観る知る”をテーマに、2005年「風の時編集部」を設立。100年前の古地図『仙台地図さんぽ』や仙台城下絵図『仙台まち歩きシリーズ』、昭和時代の写真集『仙台クロニクル』等を企画。2023年現在42作を発行 ●風の時編集部 代表 佐藤正実 ●Eメール:info@sendai-city.net ●TEL:022-295-9568 ●〒983-0852 仙台市宮城野区榴岡3-11-5 A610 ●楽天市場ショップ→http://rakuten.co.jp/kazenotoki/

教訓としてだけではない写真の活用法。「3月12日はじまりのごはん」。

東日本大震災から3年が過ぎた2014年。普段の生活において震災風化が危惧され、仙台のまちなかで「震災体験を語りやすい場」をいかにつくるかを、3がつ11にちをわすれないためにセンター(せんだいメディアテーク)と模索する中で生まれたイベントが「3月12日はじまりのごはん」。

「3月12日はじまりのごはん」は、市民が写し撮った震災後の生活、中でも「食」にまつわる写真をセレクトし、コンビニや炊き出しに並ぶ様子などの写真を見ながら、震災後、初めて食べたのはいつ?何を?など、自分の体験談を付せんに書き出してもらう市民参加型のイベント。
地震が発生し余震が頻発する中で初めて口にした食べ物、その時あなたは、どこで何をして、どう感じたのか・・・「食」を通じて、それぞれの生活、体験を拾い集める作業を、2014年にせんだいメディアテークとの協同事業として約1ヶ月半開催した。
そして、その展示素材を震災学習として利活用し、2015年11月30日に仙台市立七郷中学校の生徒自らが取り組んだワークショップが「100年後に語り継ぐあの日の記憶〜『はじまりのごはん』を題材に〜」。



郷中学校では、“学年を超えて語り合う時間を通し、震災の記憶を風化させないように語り継ぐとともに、実場面に即した行動を自分たちで考え実践する力を養うこと”を目的とした学習の場を「考動議会」と名付け、これまで3回催され、今回は「3月12日はじまりのごはん」の写真を題材に、「震災の体験やその時の思いを語り合う」というワークショップを開催。

今年の「考動議会」で掲げた目標は下記の2点。
�@震災の教訓は与えられるものではなく、自分たちで気付き、自らの言葉で伝えることが大切であること。
�A様々な体験の共有を通して、語り継ぐべき教訓、情報、思い等に気付き、復興過程の記録は未来への学びの記録であることを知ること。


開催にあたっては、子どもたちに心の負担を負わせないことを第一とし、写真の選定からワークショップの進め方、付箋を整理する表の作製や見せ方など、先生たちと一緒にアイデアを出し合いながらプログラムを準備。
2015年11月30日「考動議会」当日。「30〜40年おきに来ると言われている宮城県沖地震ですが、例えば次に40年後に地震が起こったとして、皆さんは何歳でしょう?お父さんやお母さんになっているかもしれませんが、今日は震災を知らない未来のこどもたちに何を伝えるのかを考えてみたいと思います。」という先生の言葉から始まり、1〜3年生縦割りのグループで、お互いの体験やその時の思いなどを語りあうワークショップがスタート。

1枚の写真に正しいキャプション(写真説明)をつける作業ではなく、自分の体験と摺り合わせて多くのキャプションを付け加える作業は、いつもの授業のように正しいひとつの解を求めるのではなく、むしろたくさんの間違った答えを用意するという真逆な作業。それでも、写真を囲み付箋紙に書き始めると、リーダーの3年生を中心にグループ全員が手際よくワークショップを進められた。

今までの「3月12日はじまりのごはん」と大きく異なるのは、最終的に100年後に語り継ぎたいこととは何なのか?をワークショップの着地点とした点。思ったことや体験談を話し終えたところで、各グループで一番忘れたくないこと、伝えなければいけないことを整理し、語り継ぎたいと思う付箋紙を1枚に絞り込んでもらいました。そもそも、「3月12日はじまりのごはん」は口にしにくかった個々の震災体験や記憶を付箋紙に書き込むことで可視化してきたが、グループのメンバー間で共通の「100年後に語り継ぎたいこと」という答えを導き出す作業は、新たな活用の手法にも感じた。



「食」を通して体験を語るワークショップなので、食べ物のありがたさを語り継ぎたいというグループが多いことは予想できたが、約半数の47%が「食べ物・飲料水」に関することで、次いで14%が「電気・ガス・灯り」、13%が「コンビニ・スーパー・小売店・買い物」の順。
興味をひいたのは、選ばれた付箋紙は震災の中の生活を具体に記されたものが多く、これは自分の体験との相似性、あるいは置かれた状況が自分事として捉えることができるコメントだったためかもしれない。
例えば、「外で食べる温かい食べ物はありがたかったです(特にとん汁)」、「(ヤマザワ)コンビニならんでたら(頭)カラフルなおばちゃんに話しかけられた!つらい中でのコミュニケーション。しんさいはつらいけど人との交流ができた!」、「いつもは活気ある仙台駅周辺もこの時はシャッター街になっていて怖いくらい静かだった。」など。これらは、震災を体験していない非被災地の人達に対しても、有効な語り継ぎの体験談となるのかもしれないと感じた。

また、最後のグループ発表においても「〜しなければならない」という教訓めいた言葉は少なく、震災体験者としての発言らしい、あの時の心情をそのまま言葉にして伝える生徒が多かったことも注目される点。
仮にテーマが“東日本大震災の教訓を未来へ伝える”というものであったなら、どんな答えを要求されているのかという余計なバイアスがかかってしまい、避難の仕方や備蓄の方法などの良く言われる教訓を答えていたかもしれない。
震災から4年9ヶ月が経過し、発災当時、小学校低〜中学年だった児童は、現在中学生となり、震災を自分の言葉で語れる最後の年代になった。グループ発表で「震災時の辛さや経験に加え、日常のありがたさを伝えたい。」と口々に言う彼ら。あの日を語りあい様々な記憶が誘発されたことで、震災の教訓を自ら気付き、自分の言葉で伝えることができた、そんなワークショップになったのではないかと思う。



宮城県沖地震は過去400年で11回、平均37年間隔で起きている。
これをひと世代に必ず一度起きる自然災害として捉え、風化を防ぐための日常の学ぶ場にすべきかもしれない。その時、語りやすい震災のテーマのひとつとして、参加者同士の壁を作らない「食」は、有効な方法であると改めて実感することができた七郷中学校のワークショップだった。