青葉通の舗装が完了するのは昭和28年末。
未舗装のほこりっぽい通りに、宮城酪農ミルク、マツダランプ、リズムミシン、東邦生命の看板が並ぶ。昭和28年頃の青葉通。
(佐々木徳郎さん/撮影 風の時編集部/所蔵)
河北新報夕刊で、昨年3月からスタートした「仙台・あの日」(毎週火曜連載)。
仙台の原風景が色濃く残る「大正・昭和初期編」をご紹介してきましたが、昨日から「戦後編」がスタートしました。最大幅50メートル無電柱の青葉通を見て当時の人々は「飛行場にでもするのか?」と噂したそうです。また、風の強い仙台、未舗装の道路が多いこの頃までは「仙台砂漠」と揶揄されたとか。来週以降も引き続きお楽しみ下さい(^^)/