写真展「MIYAGI 1951」ライブトーク「アラン・バトラーさんを迎えて」。
塩竈市杉村惇美術館の岩澤館長とメモリアル交流館の飯川さんによる展示写真の紹介では、撮影された1951年という時代背景を解説しながら、日本の日常風景に興味を持ったというバトラーさんの“目線”を読み解く楽しい時間。
---
「MIYAGI 1951〜米軍医のまなざし、戦後6年の沿岸部〜」
1951年、ジョージ・バトラーさんは朝鮮戦争の軍医として「キャンプ・マツシマ」(現・航空自衛隊松島基地)に9か月滞在。その間、宮城県沿岸部を撮影し、約2,000枚もの写真を写した。
写真整理していた息子のアラン・バトラーさんは、写された場所が東日本大震災によって被災した沿岸地域であることを知り、写真の修復作業に取り掛かる。その中から、今回は約130点の写真を展示。8/26まで
---
岩澤さん&飯川さんのかけあいも絶妙でした^ ^船の記号はTKが東京、MGが宮城を示すという話で、「JKが女子高生を示すのは知ってたけど」にはやられました、岩澤さん^ ^ #仙台