先月発売しました「仙台七夕まつり 七夕七彩」を
編集しているときに“明治?大正?昭和?平成”という
歴史を縦軸にして、“七夕”を通して仙台を見ることができました。
しかし、これでも“七夕”というひとつの側面からしか見ていない
わけで、仙台の歴史をひもとく作業を行ってきた先人・先輩の
ご努力というのは、やはり並大抵な努力で達成できるものでは
ないなと、今さらながらに思い知りました。
ところで、ひとつのテーマで企画・編集をするときに、多くの
方々は現存の資料をいろいろ探り、それぞれのテーマに
添った答えを導き出す出す作業を行いと思います。
歴史書、市史、全集、地図、写真…など。
しかし、資料の紛失や経年による傷みなどで
調べがつかない、または貴重品ゆえに見ることもできない
資料もあり、なかなか検証もできにくいことも多いのでは
ないでしょうか?
実際に私も、大正・昭和初期の絵葉書写真集、
仙台七夕まつりの本を企画・編集する段階で、経験しました。
(中には貴重な絵葉書がすっかり抜かれている悪質なものも…)
だからこそ、印刷による“複写”が必要になってくるのだと
思うのです。デジタルデータによる保存というのも、
ひとつの方法です。しかし、保存性と閲覧性ともに
兼ね備えた媒体というのには、少しばかり心許ない
保存方法のように思えます。印刷複写によって、
多くの方々の目に触れる機会が増え、
次世代へ貴重な資料を残すこともできやすくなるでしょう。
せっかく先人が残してくれた貴重な資料。
その資料をもとに様々な検証を加えるためにも、
地図や写真、絵葉書などのいわゆる一次原稿を
残すための処置を施さなければなりませんね。