伊達政宗公が1628(寛永5)年に造った御隠居所で、「若林館」「若林屋敷」と称した(家臣の間では「若林御屋形」、「若林城」とも呼ばれた)。
若林城は土塁と堀に囲まれ、東南角には櫓を置き北には築山を造り、城の周りには一門以下家中の屋敷も連ねるなど、屋敷と呼ぶよりまさに城の様相であった。
霞目には米町が置かれ、名取、国分、宮城などのコメの取引を行うよう高札が揚げられ、また木綿小売りで若林に出てくる者は絹布町で棚売するようにと黒印状が出されるなど、若林はひとつの独立した府城を形成した。
政宗公死去後、遺言通り若林城は解体され、その木材は当時建築中の仙台城二の丸の建築資材として用いられた。
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