2019-03-04 空から見た仙台中心部(昭和25年) 地域アーカイブ(編集部雑記) 写真のほとんどは空襲による焼失エリア。仙台市は戦災を機に復興街路計画を一気に実行し、青葉通、広瀬通などを新設した。晩翠通(細横丁)、東二番丁、東五番丁などを大幅に拡幅し、勾当台には公園も新設。所要の土地のほとんどは住民からの拠出であり、強制移転など苦しい境遇を乗り越え今日の仙台があることを忘れてはならない。この年の市の人口は330,560人。 (所蔵/風の時編集部 河北新報夕刊「仙台・あの日昭和の一葉」2019年2月26日掲載)