藩政時代以来、大町三丁目から北五番丁まで、ほぼ一直線に通っていた道。「細横丁」という名称のごとく、もともとは幅3メートルの細い通りの侍屋敷だった。1736(元文元)年〜1760(宝暦10)年まで、細横丁と北三番丁の交差点西南角には養賢堂の前身となる仙台藩の学問所が置かれたが、明治以後は各種商店の立ち並ぶ庶民の町となった。
終戦後の復興都市計画により、北五番丁から南町通の仙台高等裁判所まで延長し、道幅も10倍以上の36メートルに拡幅された大通りとなった。1982(昭和57)年に、仙台市出身の作家・土井晩翠を由来とする「晩翠通」が付けられた。
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