四ツ谷用水の本流が流れていた通り。土橋(どばし)通から北鍛冶町まで四ッ谷堰が東流し、後に宮町まで延長された。北一番丁〜七番丁までは東西に侍屋敷を、北八番丁以北には足軽および職人衆が置かれ、北山方面には寺屋敷が配置された。
明治以降、北鍛冶町角に米搗(こめつき)水車がたち、道沿いの低地は田となった。大正末頃、この地に片平丁から移転してきた旧制二高が建ち、戦後東北大農学部となった。
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