昭和初期結核の罹患者が多かった仙台市民のための保養地にしようと越路山と呼ばれた山を、私財を投じて開発したのは、篤志家の八木家だった。
竜ノ口渓谷に長さ100メートルにも及ぶ鉄骨の吊り橋を架けたのは、1931(昭和6)年。
橋を渡り隧道を抜けた先には、20,000人収容の野球場と遊園地を整備。一帯は八木山と呼ばれるようになる。
(写真/羽田喜作 所蔵/NPO法人20世紀アーカイブ仙台)
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