先日、ある方から仙台郵便局創設の地についての資料を見せて
いただきました。私は国分町に『仙台郵便局創設の碑』があること
自体初めて知ったのですが、現在置かれている『仙台郵便局創設
の碑』が、実は誤ったところに建っているんですね。
資料を要約すると、仙台郵便役所がおかれたのは明治5年米川重吉宅
(国分町153番地)。その後、金須宅、猪俣医院となり、大正中期頃には
南条医院となったそうです。昭和初期に、その南条医院が北側
(国分町149番地)に引越したのが、今の『創設碑』がある場所と
いうこと。つまり、「仙台郵便役所」=「南条医院」だから、「創設の地」
と勘違いしてしまったという訳です。
国分町、リッチフィールドから入ってすぐの通り付近(右:瀬戸勝パーキング)
瀬戸勝パーキング斜め向かいにある国分町ビル(やぶや屋さんの隣の隣)
そのビルの道路添いに建っているのが『仙台郵便局創設の碑』
碑の全面に書かれているのはは“仙台郵便局創設之地
昭和39年4月20日建之 仙台郵政局長 稲増 久義”
実は、その碑より南に25mほど行ったところ(ラーメン味よしの
隣のビル付近)が、本当の仙台郵便局創設の地。
碑の建っている場所が「国分町ビル」、実際には南側に
25mほど行った東ビル?宮城PRIMOビルあたり。
ちなみに、大正元年の「仙台地図さんぽ」には、やぶや支店から通りを
隔て、右下(南方)2軒隣に大正中頃南条医院となる前の「猪俣医院」が
載っています(中央やや右「+(医院のマーク)ヰノマタ」と記載されている
ところ)。つまり、ここが『仙台郵便局創設の地』ということです。
現在、国分町の通りはちょうど歩道拡幅工事の真っ最中。
この工事を機に、『仙台郵便局創設の碑』を移設しては
いかがなものでしょうか。