千余年前、古今和歌集に「みさぶらい御笠と申せ宮城野の木ノ下露は雨にまされり」と詠まれるなど、木ノ下は陸奥への憧憬を誘う歌枕の地であった。
古は老木大樹に囲まれ、昼間でも薄暗いほどうっそうと生い茂っていたことからこの名がついた。
奈良時代中期、聖武天皇が仏教による国家鎮護のため、国分寺(こくぶんじ)・国分尼寺(こくぶんにじ)の建立が命じ、多くは国府区域内か周辺に置かれた。つまり国分寺が建てられた木ノ下は、当時、この地方における一大中心地であったことが分かる。
この地に伊達政宗公が薬師堂を、そして二代忠宗公が白山神社を建て、数多くの塔頭(たっちゅう)や坊が並び繁盛をみた。
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