伊達政宗公が仙台開府にあたり、城の鬼門である丑寅の方角(北東)に当たる現在の宮城県庁前に、京都三宝院の末寺で真言宗の定禅寺を置いた。明治維新後は藩の外護を失い、1873(明治6)年、陸軍病院の仙台鎮台病院が移されることになり定禅寺は廃寺となった。
この東三番丁の北端にあった定禅寺の門前から西の通りを「定禅寺通」と呼び、国分町で「定禅寺通櫓丁」に連なる。明治13年以後は定禅寺と大聖寺(現NHK仙台放送局)の間を切り通して東に延び、外記丁、光禅寺通、長丁方面に直通することとなった。
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