柳町に通じる通りで、柳町大日堂前から六道の辻〜孝勝寺下馬先までを「柳町通(やなぎまちどおり)」と称し、別名「孝勝寺通(こうしょうじどおり)」とも呼ばれた。
柳町通は藩制時代初期はこの東七番丁までだったが、寛文時代までに孝勝寺前まで東進した。明治20年の鉄道開通で、東五番丁〜東七番丁間がほぼ失われ、東西に分断。西部は宮城学院や東北学院、病院、官庁などが作られ、東部は昭和48年以降の再開発で商業地区となった。
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