陸奥国分寺が隆盛の時代、門前から塔頭(たっちゅう)が連なり二十四坊あったことからこの名が付いたが、藩政時代には御足軽や御小人の住む場所となった。連坊小路は五橋から木ノ下までの長い町で、明治20年に鉄道が町を横切り、線路から西を上連坊小路、東を下連坊小路とも呼ばれる。
古地図に「恋慕小路」という文字が記されているのは、昔、南染師町に小保町(おぼまち)という遊郭町があり、しのびしのび通ったという話があることからあてられた文字。仙台八小路のひとつ。
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