風の時編集部 【仙台の原風景を観る、知る。】

“仙台の原風景を観る知る”をテーマに、2005年「風の時編集部」を設立。100年前の古地図『仙台地図さんぽ』や仙台城下絵図『仙台まち歩きシリーズ』、昭和時代の写真集『仙台クロニクル』等を企画。2023年現在42作を発行 ●風の時編集部 代表 佐藤正実 ●Eメール:info@sendai-city.net ●TEL:022-295-9568 ●〒983-0852 仙台市宮城野区榴岡3-11-5 A610 ●楽天市場ショップ→http://rakuten.co.jp/kazenotoki/

仙台クロニクル「仙台城」⑥ 伊達政宗公初代騎馬像

1935(昭和10)年「藩祖公没後300年祭」を記念し、柴田町の彫刻家小室達(とおる)氏によって製作された伊達政宗公騎馬像。第二次世界大戦の金属供出の憂き目に遭うが、戦後、胸から上部分が発見され、仙台市博物館の敷地に移設された。

f:id:kaze_no_toki:20210622170626j:plain

河北新報夕刊「仙臺クロニクル 古地図と古写真で観る、原風景。」2021年6月22日掲載)

仙台クロニクル「仙台城」⑤ 昭忠碑

戦没者の慰霊顕彰碑として、1902(明治35)年仙台城本丸跡に建立された。絵はがきでは塔頂部に翼を広げた青銅製の鳶(とび)が乗っているが、2011年の東日本大震災で落下し、その後修復され、現在は基台に据え付けられている。

f:id:kaze_no_toki:20210615183901j:plain

河北新報夕刊「仙臺クロニクル 古地図と古写真で観る、原風景。」2021年6月15日掲載)

仙台クロニクル「仙台城」④ 五色沼

仙台城三の丸跡(仙台市博物館)北側の五色沼は、日本フィギュアスケート発祥の地と言われる。1923(大正12)年、仙台スケート協会が設立すると急激に普及した。スケート競技への関心は高く、五色沼広瀬川大橋下などがリンクとして使われた。

f:id:kaze_no_toki:20210614181801j:plain
河北新報夕刊「仙臺クロニクル 古地図と古写真で観る、原風景。」2021年6月8日掲載)

仙台クロニクル「仙台城」③大手門

仙台城の大手にそびえ立つ二階建の豪壮な大手門、そして脇櫓。ともに1931(昭和6)年に国宝に指定されたが、1945(昭和20)年の仙台空襲で焼失した。伊達政宗公没後400年の2036年に向けて、大手門と脇櫓の復元計画が進む。

f:id:kaze_no_toki:20210602152152j:plain

河北新報夕刊「仙臺クロニクル 古地図と古写真で観る、原風景。」2021年6月1日掲載)

仙台クロニクル「仙台城」②本丸

天然の要害青葉山を利用し、初代藩主伊達政宗公によって築かれた仙台城。1610(慶長15)年、山上に本丸が造営され、1639(寛永16)年には二代忠宗公の時代に二の丸(現・東北大学川内キャンパス)が完成。以降、二の丸が藩政の中心となる。

f:id:kaze_no_toki:20210526141923j:plain

河北新報夕刊「仙臺クロニクル 古地図と古写真で観る、原風景。」2021年5月25日掲載)

『仙台城下絵図 風呂敷』発売時期についてお知らせ

現在、風呂敷は群馬県桐生市の朝倉染物店さんで製造していただいておりますが、予想を上回るご注文をいただいたため、製造が間に合わず、お届けが6月上旬にずれ込みそうな状況です。大変ご迷惑をおかけしますが、何卒よろしくお願いいたします。

f:id:kaze_no_toki:20210522163546j:plain

昭和61年、解体直前の宮城県庁舎

赤レンガが美しかった宮城県庁舎。解体せずに、他のまちのように活用する手立てはあっただろうに。今から見ると実にもったいない!

宮城県庁設計者は、第二高等学校に学び、青春時代を仙台で過ごした佐藤功一氏。
「私が見た日本の計画された城下町で、こんなにいいと思ったものはない。ひょっとすると伊達政宗支那か西洋かの街のプランニングを取り入れたものではなかろうか」(「さよなら昭和の殿堂」より引用)」と、仙台のまちを評したとか。

f:id:kaze_no_toki:20210519083606j:plain

岩手県公会堂、早稲田大学大隈講堂、群馬県庁舎、栃木県庁舎、日比谷公会堂、そして旧仙台第二高等学校を手がけた設計者で、残された建物群は、今見ても威風堂々。
建築は全くの門外漢だけど、建築物そのものの価値もさることながら、その建物とともに刻んできた時や佇む風景を大事にすることが、まちに愛着を持つことにつながるのかも。その意味では宮城県美術館が残って本当に良かった。

(「仙台クロニクル」P115掲載)

「仙台クロニクル」のお求めは仙台市内書店、または風の時編集部オンラインショップでどうぞ→

item.rakuten.co.jp

仙台クロニクル「仙台城」①

所領を米沢、岩出山、そして仙台へと移した南奥州の覇者・伊達政宗公は、関ヶ原合戦の1600年(慶長5)年12月に縄張りを始め、62万石の拠点である仙台城と城下町をつくった。標高203メートルある青葉山に建つ山城の仙台城は、豊臣秀吉が建てた聚楽第にも匹敵すると言われる大広間を中心に建造された。約10年後に完成する城下町仙台には、5万人を超える人々が住んだ。

f:id:kaze_no_toki:20210513160835j:plain

河北新報夕刊「仙臺クロニクル 古地図と古写真で観る、原風景。」2021年5月18日掲載)

 

仙台クロニクル「榴ヶ岡」⑥ 榴岡公園/東北産業博覧会会場

1928(昭和3)年に開催された「東北産業博覧会」。
第一会場川内、第二会場西公園、そして第三会場が榴岡公園だった。人形陳列館を始め、飲食店や売店が並んだ。絵葉書に写る「日光館」は公園北側の現NPOプラザの敷地に建てられた。

f:id:kaze_no_toki:20210511175021j:plain

河北新報夕刊「仙臺クロニクル 古地図と古写真で観る、原風景。」2021年5月11日掲載)

仙台クロニクル「榴ヶ岡」⑤ 釈迦堂

仙台藩四代藩主伊達綱村公が生母・三沢初子の冥福を祈るため、1695(元禄8)年に榴ヶ岡に建立したのが釈迦堂。1973(昭和48)年の宮城県立図書館建設に伴い、三沢初子が葬られた孝勝寺に移された。現在、大規模復元工事中。

f:id:kaze_no_toki:20210428092711j:plain

河北新報夕刊「仙臺クロニクル 古地図と古写真で観る、原風景。」2021年4月27日掲載)