2016年11月、神戸大学院の先生の招きで、阪神・淡路大震災と東日本大震災というふたつの大災害を、神戸市、岩手県大槌町、宮城県仙台市で定点撮影を行う事例紹介とトークセッションに参加した。
テーマは「なぜ撮りためるのか」。
このテーマは、神戸大学院生のシンプルな疑問から生まれた。変化しない大槌町の風景を、地元の高校生と一緒に撮り続ける活動の中で、「活動のゴールはどこなのか?」そして「自分たちのように震災を経験していない者が震災を伝承する意味とは?」−。
私たちは、震災翌年の2012年から定点撮影を開始し、2013年にその記録を「3.11キヲクのキロク、そしてイマ。」にまとめた。津波被災により消えてしまった「かつての風景」を目の当たりにし、その当時は「復旧・復興の様子を将来に残すため」 、あるいは、「発災直後に撮った撮影者の気持ちを伺い知るため」など、定点写真を撮り残す理由を挙げていた。
東日本大震災から5年というひとつの節目が過ぎた今。
現地に足を運ぶと、復興という名のもとで“変化し続けるまちなみ”と“ほとんど変化しない風景”という、ふたつのふるさと喪失の姿を見せつけられる。
同じ場所に立ち、シャッターをきって残された記録写真は、被写体の変化ぶりを伝える貴重な資料であることは間違いない。しかし、振り返ってみると、変化ばかりに目が向けられていたきらいがあるのではないだろうか。それらはもしかすると副産物であって、何よりも現地での「変化を見続ける」という関わりそのものが重要なのではないかと思い始めている。
その上で、撮られた副産物の写真は様々な形に編集され、多くの人に見てもらい現地に足を運んでもらうきっかけを生み出せば良い。そんな関わりシロを拡げることが「撮りためる」最大の理由であると、神戸でのトークセッションについて、自分なりに理解を深めることができた。
アーカイブの役割は記録を重層的に積み上げていくことだけではなく、他人事の事象をいかに自分事に同期させることができるかにある。
本展示では、震災直後から定点で撮影された写真の他に、震災前のまちの様子と現在を比較する写真も展示した。「かつての風景」は単に「過去の風景」ではなく、「復興後の未来」を思い描くことを示すという想いがあるからだ。震災以前と現在のまちをひとつにつながった歴史で見ることによって、更地化されたまちが自分事として見ることができるという側面もある。記録者の何人かがインタビューでも答えているように、定点撮影の目は過去に向けられるのではなく、常に未来へ向いている。
今回は定点撮影された約70枚のパネルを展示した。いずれも記録者たちの想いのこもった写真ばかりである。阪神・淡路大震災から20年が経ち、神戸市民の約4割が震災を知らない世代になった。震災非体験者である神戸の大学院生たちの問いを口にする声は、十数年後、仙台に住む若者の声のようにも聞こえる。
先人たちが私たちのために様々な資料を残してくれていたように、定点写真が、過去と今、そして今と未来を繋ぐためのプラットホームとなることを願う。
3.11オモイデアーカイブ 佐藤正実
(開催主旨より引用)
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主催/3.11オモイデアーカイブ・3がつ11にちをわすれないためにセンター
3.11定点撮影プロジェクト「みつづけるあの日からの風景」は、せんだいメディアテーク7Fラウンジで2017年1月8日まで開催中