荒町は奥州街道の一本西の通り、大町三丁目から南側の袋町に至る町。御譜代町のひとつで、開府当時岩出山から移ってきた麹屋町であったが、1628年(寛永5年)頃に若林城が築かれると、現在地に移され東西に長い町になった。以来、元々荒町のおかれたまちは「本荒町(もとあらまち)」と呼ばれ、藩の医者が多く住む侍丁となった。
また、本荒町は太夫(能芸人)が多く居住しており、仙台藩の乱舞頭であった桜井八右衛門の屋敷もこの地にあったことから、「太夫小路」とも言われた。
戦後、良覚院丁は青葉通に含まれ、本荒町も姿を変えた。
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