奈良時代、木ノ下に陸奥国分寺が創建され、その一帯を国分氏が領有していたが、仙台開府に伴い、木ノ下付近に住んでいた町人などを奥州街道の芭蕉の辻から北側に移し「国分町(こくぶんまち)」とした。当初、通りの東側に10軒、西側に9軒の商人屋敷が置かれたことから「国分十九軒」とも言われた。
その後、呉服問屋や味噌問屋、本屋などの豪商が店を構え、商業はもとより交通や経済においても重要な町となった。
(河北新報夕刊「仙臺クロニクル 古地図と古写真で観る、原風景。」2020年10月27日掲載)
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