東一番丁〜東三番丁は南北に並行し、中堅武士が多く住んでいた侍丁。仙台藩法では百石の高禄者を馬上以上の身分(合戦において馬の上から指揮をとる身分の高い者)として取り扱い、東二番丁には百騎の侍を配したことから「百騎丁(ひゃっきちょう)」とも呼ばれていた。
東二番丁は定禅寺通から五橋通までを言い、幕末には医学館や町奉行役宅があった。明治時代には、小中学校、裁判所、憲兵隊、銀行の町となり、戦後、道路が拡幅され大通りとなった。
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