東七番丁の東側に並行して割り出された足軽屋敷で、南は荒町、北は二十人町に行き当たる。柴田郡大河原村の足軽衆が置かれたので、かつては「大河原町」とも言われた。
封内風土記には「八番丁以下、今廃宅たり」とあり、天明の大飢饉(1782年〜1787年)をきっかけとする領内の荒廃ぶりをうかがい知ることができる。1905(明治38)年には片倉製糸紡績仙台生糸所が操業を開始した。
----------
●「仙台地図さんぽ」大正時代版(2,500円+税)
●「仙台地図さんぽ」江戸時代版(2,000円+税)
「仙台地図さんぽ」アプリ版
→iOs版
→Android版