覚性院丁から八幡町に出るへくり沢の西側のまち。寛文時代には橋の東南部にお城出入りの御職人石切の屋敷があった。1664(寛文4)年に描かれた絵図には「石切」とだけ記されている)石切橋から八幡町に至るこの道は、城下と石巻・山形を結ぶ要路で人馬が絶えなかったという。まちの氏神として瀬田谷不動尊が祀られている。
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